わたしは、これまでの仕事の経験から営業(=モノの販売促進をかけ、売上を伸ばす)を得意だと思って、KANKIKUを立ち上げて、日本の消費の光景をエコフレンドリーに変えることをビジョンに掲げてこれまでやってきたが、環境とビジネスって、正直なところ真面目に環境のことを深く考えていくと、相性がそしてテーマが悪い、ということをここ2年ほど痛感している。

なぜなら、自然環境は守るもの、ビジネス=経済は成長させるもの、これが大前提となるから。

エコだけど”モノ”の販売促進をしたところで、わたしには「あれ?これって本当に必要だったっけ?これってこんなにたくさん売る必要があるのかな?こんなに生産すること自体、資源も時間も労力もお金もかかるわけだから、何もしない方がいいんじゃないか?」という疑問にぶち当たって。そして、今年2024年は、そんなこともあって、営業は得意だったけれど、好きではないのかもしれないということに気づき、ガツガツした価値観を一旦置いて立ち止まることにした。

もう日本においては、これだけモノや情報があふれている社会。これ以上、モノは必要だろうか?これ以上、成長する必要があるのだろうか?どうやらモノをばんばん作って売るのはなんか違う気がする、ごみを増やしてもしょうがないし、それなら、モノを売るのでなければ何を仕事として稼げばいいのか?

わたしにしてみれば、お金の稼ぎ方がわからない、っていうような状況になってしまったのね。

そんなことがわからなくなって、これはどうやら、資本主義ありきの社会だから起こる悩みで、資本主義には限界がある、ということにこのわたしでも気づき、今後の新しい未来についてヒントを得たくて、この『資本主義の次に来る世界』を開くことにした。

まぁ、英国の経済人類学者が書いたこういう本というのは、翻訳ということも相まって正直、長いし細かいし、ときどき難しいし、正直さくさくっと読めるものではないので、このブログには、わたしなりの私見を交えて要点を紹介する。

まずは、やっぱりそうなのかと腑に落ちたのは、帯に書かれたこの一節。

”資本主義の成長志向のシステムは、人間のニーズを満たすのではなく「満たさないようにすること」が目的なのだ。”

もう20年ほど前かな、どんどんファストファッションが広がり、安くて着やすい服でタンスがあふれそれらの服はすぐに捨てられる。ほかにも、どんどん新しいスイーツが出たり、ペットボトルのドリンク、自動販売機も増えて、さらにはケイタイ電話は、スマートフォンに進化し、さらにこれ以上進化しようがないほどに、毎年新しい機種が誕生し、市場は飽和状態。電子機器に関していえば、レアメタルが不足しアフリカの鉱山が荒れ果てている、なんて事態にも。

どんどん便利になってニーズを満たしていると思いきや、もっと欲しがってもらうように、やらなくてもいい新商品のアイデアを社員たちは搾りだし、広告戦略で「新しいもの、便利なものがあるとより豊かな生活、充実したライフスタイルが送れる」と煽り、私たちをその気にさせてきた。

だから、私はメーカーで営業の仕事をしていた時も「上場してグローバル展開していく企業は素晴らしいし羨ましい」という風潮に無意識に賛同している一方で、いささか、疑問を感じてきていた。

営業報告をするのを聞くときも、「前年比110%を達成した、しかし前月比では96%、今月は頑張って取り戻したい。」なんて、毎回前年比と前月比、営業目標は常に右肩上がりで作成しているのってなんかおかしくないかい?と思っていた。いつまでも右肩上がりって、必要ですかね?って。

起業スクールに通うことになった時も、ビジネスコンテストに出たときも、事業計画書を書くと、だいたい1年目はとんとんで、2年目は2倍で、3年目は4倍、そして法人化して・・・と本当にそこまで成長することが必要なのか?ということは考える必要はなく、そう書くものとして教えられてきた。右肩上がりで書くというのが、正解でありそれこそがビジネスの基本だと。

そのことを元銀行マン、支店長まで勤め上げた人生の先輩に聞くと「そうだよ、会社の会議って、いつまでも右肩上がりになる報告って、おかしくないか?って皆思っているんだよ」

と言っており、「やっぱりそうなんだ!!」という話で終わった。

この本でも、まさにそのことを書いているけれど、こういう概念を作り出したのは、かなり歴史をさかのぼることになるらしい。というその歴史についてはかなり詳しく書かれていて結構、読むのは読み応えあり(苦笑)まぁ、西洋人貴族の侵略の歴史ってホントどうしようもないし、腹立たしさが湧いてくるから真面目に深く読んでいたら、こころが荒みそう・・・哀。今ある私たち人間が住んでいるこの世界、築き上げてきた歴史、文化って、美しいものではないと。あそこの国にもたくさん教会があるけれど、あれも侵略の文化なのか・・・とか公用語がフランス語なんだ、というのも、黒い歴史があって・・・掘り出したらきりがない。

P125 ”資本主義経済における成長グラフは決して水平にならない。つまり終点(エンド)も目的(エンド)もないのだ。

絶対的な前提になっているのは、「成長は成長すること自体を目的として永遠に続くことが可能でまた続くべきだ」というものだ。”

この本でなくとも、脱成長論は日本でも斎藤幸平氏もそうだし、もう20年前から色んなところで書かれてきているので、目新しさはないけれど、世界史という視点での細かなファクトを執念深く、記載している学者的書籍ということで、改めてわたしの価値観は、そんなに変ではなかった、ことを再確認。でも、結局のところ、さて、成長や向上心をおさえて、どうやって仕事をして生活していったら持続可能な未来に貢献できるのか、という疑問はまだ解決しないまま。

後編は、この本の原書のタイトルのことや、より環境問題に関することを紹介していきます。