”環境にやさしい”をポリシーに生きているひとをどこか冷めた目で見たくなる疎ましさの正体ってなんだろう・・・とぼんやり考えていたときに10年くらい前に読んだ小説を思い出し、再読した話の後編です。
”だったら、てめえのいえだけ汲み取り式便所に戻せって言うんですよ”
このセリフがやたらと印象に残っている小説。
奥田英朗さんの『家日和』の6話めに収録されている「妻と玄米御飯」という短編です。


主人公の小説家、大塚康夫は妻がロハス(LOHAS:Lifestyles of Health and sustanabilityをコンセプトにしたライフスタイル)にハマり、ごはんが白米から玄米になり、意識高い系の奥さまたちとヨガに通い、妻のロハス仲間からナチュラル洗剤の良さを語られ・・・そんなロハスブームに踊る人達が滑稽に見えるので彼らをおちょくった傑作ユーモア小説を書きあげ編集部に送る、という設定。
先進国のエコロジーは衣食足りた人々の免罪符である。環境をダシにして、人の上位に立とうとする態度がどうにも臭う。だいいちどこからも反対されない正義を振りかざすのは、人品の卑しさではないかー(P235)
なるほどね・・・
(ヨガ教室に体験にいく主人公。インストラクターが)「ヨガの本質は、内なる自分を見つめることです。人と比べない。競争しない。他者にやさしく、地球にもやさしく。—―」
これって宗教だよなぁ。
ふむふむ。
さらに、康夫は、妻から、体にやさしい(ぼそぼその)玄米御飯と少しの肉、豆腐のハンバーグなんかばかり食べさせられる。玄米御飯が飲み込みにくいので、よく噛むようになったらウエスト回りが痩せたという嬉しさもありつつ、妻のロハス仲間の洒落オッティな、元モデル優子夫人に影響され子どもを私立中学に行かせようと勝手に進めていることを知り、
ロハスなら歩いていける公立だろう。矛盾していないか?結局、女は今だけのイメージで生きている。ご都合主義なのだ。(P237)
と。ぴたりと的を得ているけれど、ユーモア交えておちょくる風の表現に感服。
そして、勢いで書きあげ、編集部に送ると担当者が電話をかけてきて、意気揚々と、こう述べるのだ。
「いやぁ、ぼくもロハス・ブーム嫌いだったんですよ、ああいうのって、善意のファシズムじゃないですか。自分だけピュア、みたいな顔して実のところは単なる自分好きでしょう。偽善ですよ、偽善。なぁにが”地球にやさしい”ですか、だったらてめぇの家だけ汲み取り式便所に戻せって言うんですよ。あはは」
「だいたい、亭主に玄米食わせる女房なんてろくなもんじゃないですよ。おれなら張り倒しますね」
そして、近くにいる人をネタにおちょくった小説を世に出そうとしている後ろめたさを感じつつ、その後は、毒にも薬にもならないモノは存在する意味がないと開き直るも、妻の態度がどうもおかしいことに気づき、ぼろくそに書いたゲラを読まれていたのではないか、と不安になり、家庭不和を避けたいと我に返った主人公康夫は、その小説をボツにしてもらい、必死で新たに誰も傷つかない小説を書きあげることにした、という話(笑)。そして、この全貌は、リアルにこの奥田英朗の作品として世に出たと!
環境を考えることは、良いに決まっているからね、それは主人公康夫もよくわかっているし、エコロジスト、ロハスな人、そういうポリシーの人は悪いことは何もしていないが・・・どうにもね、なんかね、というのはこの小説で絶妙に体現されていて、あっぱれとしか言いようがない。
”だったらてめえの家だけ汲み取り式便所へ戻せって言うんですよ。”っていう強烈なセリフのおかげで、10年の月日を経て再読。改めて客観的に環境問題が社会に浸透しない背景を探れた。しかも、笑える傑作で、これこれ、これだよ、わたしの読みたかったものは!と最高に心満たされました。
まぁ、今の時代となっては、ロハスだのエシカルだの、ウェルビーイング、オーガニック、ヴィーガン・・・こういう英語から引っ張ってきた言葉で、オシャレを演出しながら環境意識をしていこうなんて悠長に言える状況を過ぎているので、こういう言葉が壁を作っているのかもしれない、なんて思う環境のきく子なのでした。
この奥田英朗さんの『家日和』は他の5つの短編も最高に面白いので、ぜひこの夏に読んでみてはいかがでしょうか♪