6月から東京では、渋谷のシアターイメージフォーラムにて上映開始されたキュメンタリー映画『ANIMAL ぼくたちと動物のこと』。

遅ればせながら、7月1日の映画の日にひとりで鑑賞してきました。

わたしは大人になってから、とくにKANKIKUを立ち上げてから、ドキュメンタリー映画を観たい!という気持ちが強く湧いてきたのですが、環境をテーマにした海外の作品は、日本にやってくるのにはやはりタイムラグがありますね。

この作品は、2021年に上映されましたが、日本では2024年初夏。そして撮影が始まったのは、2019年から。ちょうど2018年にグレタ・トゥンベリがストックホルムで気候変動ストライキを始めて、それが世界中に広まり、そういった中で、この映画監督シリル・ディオンが見つけた16歳の女の子と男の子に世界中を旅しながら、この大きなテーマについて一緒に観て見ないか、とオファーし、この映画ができた、というそれだけでもすごいストーリー。

昨年は、「地球沸騰時代」とまで言われ、SDGsのゴールは2030年、温暖化による自然災害で自分の身にも迫ってきているという危機感はますます募っているけれど、そうとは言っても、日本にいると、どこか平和ボケしてしまうところもあり。だからこそ、こういうノンフィクションの映画を観て、世界に目を向けると、こんなことが起きているんだ・・・と気づかされる、そういう意味でもこういう映画はなるべく早く観たほうがイイです。

わたしは、この映画情報を5月末頃に、朝日新聞の夕刊で知ったのですが(アナログな情報収集が好き)、近所に住む親しい友人が、Instagramでこの映画を娘さんと観てきたと投稿しているのをみて、先週カフェでお茶しながら映画の感想を聞いて”これは環境のきく子としては見るべき映画じゃないか!”と興味津々。

情報って、とくに映画情報ってこんないまの時代だけど、意外にも拾って実際に観に行く時間を見つけられるか、そういう思うと、けっこう運命的に近いですね。

わたしは、気候変動の抗議デモに参加したりしていませんし、ストイックにヴィーガンになるつもりもなく、毎日家族のご飯を作る日本人のお母さんとして、牛肉、豚肉、鶏肉、海鮮物は普通に料理するし食べるし、こういう映画というのは、環境のきく子でさえ、見る前はなかなかハードルが高いのかも、とは思っていました。ストイックな話は、時に難しく受け入れがたく、一部の西洋人の特殊な主張にも感じることが正直あるから。

でも、この映画は違いました。

友人から「結構シビアな内容だけど、最後には希望が持てる前向きな気持ちになるような映画になってたよ」と聞いて、それなら見てみようかな、って。

結論を先にいうと、見てすごくよかった、すごく。映画館に観に来ていた方も、ほとんどひとりで来れられている方ばかり。なるほど、同じような心持ちで来られている方が多いのかな・・・きっと。

ちょっとだけ映画の中身について。

16歳のベラとヴィプランは、若さゆえにとても純粋に物事をとらえているから、時に正論で大人(映画の中では、畜産農家の当事者)を困惑させたり傷つけたりするような発言をしてしまいます。でも、根っこがとても良い子なんだな、愛情をたくさんうけて育てられてきたことがよくわかります。

ちゃんと大人の話を聞くし、言い方も攻撃的ではないし、相手のことを気にしながらも、疑問に思ったことはちゃんと答えを知りたいし、自分の意見も言いたい、主体性がとてもあってどうしたらそんな若い時からしっかりした発言ができるのだろう・・・彼らのパーソナリティに感心しちゃいました。とっても素敵な子たち!

しかしながらそんな彼らが、水産業界の補助金をめぐるEUの国際会議の場では、幹部の大人にあからさまに”無視される”という状況に非常に衝撃を受ける。ここは見所です!

多様性を認めること、多様性、多様性ってよく言われるようになったけれど、自分の主張だけ要求してもダメだし、相手の状況や価値観を聞かずに全否定するのも良くない。けれど、おかしい、と思ったことはおかしいって言うのは、大事なことだし、国境を超えて色んな人達と話をしたり、色んな場所に訪れることで、地球は人間だけのものでもなく、あらゆる生物、植物、自然界との共存なくしては成り立たないことをちゃんと受け止められるようになっていくんだな。改めてわたしは納得しました。共存しながら生きているんだ、これは全人類が実感するべき事実だけど、それって、主体性をもって、知りたい、理解し合いたい、と思わないと実感できないことでもありますね。そういった意味で、この映画は、環境を学ぶのではなく、社会と教育がテーマでもあるような気もしました。

また、わたしはアニマルウェルフェアの課題についてよりも、世界中であふれかえる過剰なプラスチックゴミ問題のほうに強い関心があるので、映画の前半に彼らが、インドのムンバイを訪れ海辺に押し寄せるプラスチックゴミの清掃活動に参加し、その活動をしているムンバイの男の弁護士が、プラスチックゴミの清掃活動を呼びかける目的や必要性を若者たちに話しているシーンがとても印象に残りました。

そのインド人の弁護士の男性は、「コーヒーショップで使い捨てのカップやストローをもらわないように、マイカップを持っていこう」って言うシーンがあるのですが、それは日本語の字幕のこと。実際にわたしの耳には”Don’t go to Starbucks・・・(もしかしたらwithout bring your cupって言ってたのかもしれませんが覚えていない)”と聞こえたので、内心ひとり納得していました。

というのは、わたしはプラスチックやゴミ問題を追究していくうちに、スタバはいくらサステナビリティに力を入れているといっても、コーヒーやコールドビバレッジ(フラペチーノなど)をテイクアウトするのがクールだよね、という文化を世界中に広め、大量のプラゴミが出るようになった要因を作ったのではないか、と考えるようになったので自分から好んで行くのはもう辞めました。大学時代の青春はスターバックスとともに歩んできたくらい大好きだったんだけど・・・泣。

そんなこんなの、映画レビューなのか何なのかわからない話ばかりしてしまいましたが、この映画の良いところは、動物、生物の生態について、自然との協和について、人間も生物の一種である、ということ、そういう五感を呼び戻せるような発見を得られるところでもあります。

そういった探求心を研ぎ澄ませたい方は、ぜひとも環境問題ということは忘れてぜひ観賞されてみては?

渋谷シアターイメージフォーラムの壁には『ANIMAL』の映画評論記事がずらり