2021年に入って、わたしはSDGsや環境問題をビジネスの手法で改善できないか、自分の仕事へのビジョンを構築しながら、東京都の創業支援センターへ相談に行ったり、大学院のビジネススクールの履修科目生として学べないか願書を送り(GMARCHの大学でした)面接を受けたりと行動をし始めた。しかしながら残念なことに、その大学の履修科目生には落ちてしまった。落ちた理由はおそらく、志願理由書に”本科コースでMBA取得という目標は今現在の状況では視野に入っておりませんが、1科目でも有意義にしっかり学ばせていただきたいです。”と書いたからだと思う。起業しようと思い立った当初は、MBAでも取ってしまおうかと鼻の穴を膨らませたが、様々な観点から検討した結果、MBAを取ることがわたしにとっては最良ではない、という判断をした。
科目履修生というのが、ある意味で中途半端さがあったのは確かだが、やっぱり不合格通知に一日ほど気落ちはした。しかし、環境問題をビジネスとして取り組むことは急務なので、意気消沈している時間はわたしにはない、とすぐに気を取り直した。
ちなみに・・・志願理由書のデータが残っていたので、5年ぶりに読み返した見たところ、下記のようなことを私は書いていた。
朝日新聞に伊藤忠商事の環境ビジネス統轄をされている小林拓矢氏のインタビュー記事に「環境問題は意識の高い人が問題点を叫ぶだけでは状況は改善しない。多くの関係者が関わるビジネスに取り組んでこそ解決の糸口がつかめる」と書かれており、大変共感と感銘を受けました。CBSのクラスでは、様々な分野の第一線で活躍されるミドルマネジメント世代がいらっしゃるので、そのような方々の視点をお伺いできると思い、一緒に学ばせていただけたら私にとって大きな財産となると思います。
良いこと書いてあったのになぁ・・・なんてね。
さて、気をとりなおし、
その後、日経ビジネススクールが立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科と共同で開講している社会人向けの「ソーシャルデザイン集中講座」を見つけた。「社会課題をビジネスの手法で解決する」ソーシャルビジネスという分野があることをその時に知り、義理の母からいただいていた軍資金を使わせていただき、受講をすることにした(義母よ、あの時は本当にありがとうございました・・・)。2021年は、パンデミックの影響でオンラインでの講座だったが、今まで知り合うことのなかった幅広い世代の方とともに学び合うことができ、とても刺激的な講座だった。
その中で、ある講師がSDGsとビジネスのつながりについて話されていく中で、「前は、環境問題は関心がある人はどうぞ好きに活動してください、っていう感じだったし、周囲からすると、ちょっとめんどくさいヤツだな、って思われるところもありましたよね、でも今ここにきて、もうやりたい人だけやればいい、という訳にもいかなくなっている状況になってきてはいる・・・」とおっしゃった。講師は東大卒で、人材育成コンサルティング会社を起業されているような優秀な方だ。
やりたい人だけやればいい時代は過ぎ、皆が取り組まねばならない状況だ、というのはごもっとも。
しかし、ここでも大学の先生に対してわたしはTさんが言っていた「なんか言っている偉い人」という言葉が浮かんできてしまう。世界を見渡してみると、ESG投資という環境分野に特化したビジネスに積極的に投資をするスタイルもできてきてたし、国連総会でも「今、地球は壊れかけている」とか「温暖化が進みすぎて、今地球は沸騰している」とまで警告が出されるほど。にも拘わらず、環境問題に積極的に取り組んだり発信する人を“意識高い系”だね、と言われる風潮が日本には特に強い、ということが環境問題に取り組む人たちの間では懸念されていた。
当時、菅(すが)総理が就任していたが、SDGs有識者会議やらを開いた際に、SDGsに関心が高い高学歴のハーフの若い芸能人が招待された。彼女は、「マイボトルを持ち歩いてたり、量り売りのお店でお買い物したり、ビーチクリーンをしたりしていると意識高い系、と呼ばれてしまうんです」と悲しそうに発言していた。
かといって、インドネシアのバリへ高校時代に単身留学したという慶応大学の女子学生で環境活動家として講演活動をしていた方もいたが、当時18歳の彼女は、講演の中で「温暖化をおさえるためには何をしたら良いか」という質問にきっぱりと「肉を食べないこと」と答えた。牛のげっぷがもたらすメタンガスからはCo2排出量が大きく、畜産、酪農は環境負荷が高い、とは聞く。そしてそこから一部の環境推進家たちは牛が大きな原因を作っているから、ヴィーガンを推奨する。しかしながら、日本人みんなに「肉を食べるな」という極端な発想は、やはり多くの人に共感を持たせにくい。
友人や専門家、誰でもいいが、目の前で「わたしは温暖化加速させる牛を懸念しているから、牛肉は一切食べない。あなたも食べるべきではない」と言われたら、多くの日本人はたじろぐだろう。それを強要するのはあまりに現実的ではない。そんなことを言えば、人間が生存していることが一番の環境破壊だから、わたし達人間は絶滅した方がいい、ということになるじゃない?って。
<意識高い系>
環境問題に関心が熱く、“エシカルライフ”を発信したり、生活に取り入れているヒトのことを”意識高い系”と呼ぶ風潮は、以前からあった。そしてわたしのように遅ればせ組で環境オタクになっていく人はこの時期から一定数増えてきてはいる。
包装ごみや食品ロスを減らすためのオーガニック食品量り売り専門店を開く女性たちも増えてきて、それは喜ばしいこと。
しかし、彼女たちは例えば、ナッツや豆菓子をオシャレな空き瓶に入れて手土産にしたりして、啓発しているが、受け取った相手に「意識高い系なのね」と言われると、腹の中で憤慨したりするらしい。言った相手は、本人に軽く言っているわけだから、悪気はないのかとは思う。たしかに、意識高い系って、言われる側になるとディスられているような印象もある。そういうのだけにアンテナ高いめんどくさいヤツね、という意味も含まれるのか?正直なところ、どういう意味でいうかは人それぞれなので、この言葉の真意はわからない。
そこで、わたしはあえて、自ら“意識高い系でやらせてもらってます”とか、“ごめんなさいね、わたし環境オタクなんで、こういうのが気になっちゃうんです。”と自分から先に言ってしまうことにした。すると、相手からの印象はけっこう良くなる。気軽にこんなこと聞いていいのかな?と環境問題について気になることを話してくれてそこから、話題が広がることも多々あったりして。
環境にやさしい社会になってほしい、という目標に近づくためには、”わたし意識高い系でめんどくさくてすみません”と自分を卑下し笑いとばしながら、取り組めばいいのだ。
そして、”環境のきく子”だなんてダサい愛称まで公表しだしたのだから、わたしには失うものはない・・・意識高い系だけどダサいからなんか親しみがもてる、そういう人になれば伝わるのかもしれない、と願って。
