秋めいてきた今日この頃。こんにちは、KANKIKUです。今日はご報告から。

私事ながら、9月1日に廃業届を出した。環境に特化した商品、サービスの営業支援、さらに商品開発事業として、2021年4月に個人事業主(フリーランス)として開業をしてから紆余曲折の5年半。営業職での経験を生かし、営業代行や営業支援(コンサルティング)、新商品等のポップアップイベント企画開催、さらには、KANKIKUのOEMブランド商品を作り販売する、そんなことをしようと手探りでやってきたのだが、2年ほど前から何か自分のなかで方向性が違うような気がする、という違和感を持ち停滞していた。一旦、事業の方向性を見直すべく出直す、という意味で廃業届を出すことにしたが、言ってみれば失敗であり、挫折しました、ということだ。

最初の波として停滞した理由は斎藤幸平氏の『人新世の資本論』を読み、さらに彼の記事などに影響され、SDGsは大衆のアヘンだ、という論点に納得してしまったこと。エコな社会にしたいなら、余計な事はせず、消費しないことこそがエコなのではないか、と思ってしまったのだ。斎藤氏もそんなようなことを述べている。

わたしがやってきた営業って、モノを売ってナンボの仕事。だけど、わたしは環境に特化したというだけで価格が高い商品の付加価値を伝えて、売ろうとしていた。

すでに日本という世の中には食品、商品(モノ)、情報があふれている。わたしがやる必要もないほど人々は、欲しいものを対面だけでなくネットからでも好きな時に購入できるしくみになっているし、それがけっこう探せば安く手に入るものもある。さらには、もしかしたら、本当に必要で欲しいわけでもないのに買ってしまってゴミが増えるという現実もある。

市が主宰するビジネスプランコンテストのファイナルに出場した時には、創業スクールの先生からのアドバイスもあり、開業したからには、安定した収益を得る必要があるだろうからそれなら、商品開発してKANKIKUのOEM商品として販売するのも良いだろうと事業に組み込んだ。しかし、その後やっていく中で、わたしが売ろうとしているモノは、OEMだとしたらそれってパッケージだけ変わるだけで革新的でもないし、仮にエコなものでも新たに製品化をしたとしても、本当にそれは市場に受け入れられるような必要なものなのか?大量生産することでエコな社会との矛盾にもならないか?一人で販売するとなると、ネットショップもやるということか?わたしがネットショップをやったら、梱包と発送作業に追われ、本当にそれは私がやりたかったこと?とならないか?そんな疑問が次から次へと出てきてしまった。

気づけば、5年半に商品開発などひとつもしていない。

さらには、わたし自身が、情報過多の中で、消費欲求を次から次へと煽られる資本主義社会に飲まれ、消費行動に疲れてしまったようだ。なにせ、わたしはショッピングが大好きなのだ。SNSなんかで流れてくる宣伝広告が魅力的に見えるとすぐに財布の紐がゆるんでしまう。私のような人間は、アリゴリズムに乗せられる恰好のカモなのだ。ひろくKANKIKUというわたしのことを認知してもらうために、さらには情報収集のためにInstagramやフェイスブックのアカウントを立ち上げたが、精神衛生はあまりよろしくなかった。フェイスブックは、だいぶ前に使うのをやめたが支障はなく、楽になった。そして、消費欲求という面では特にInstagramを見るようになってから、わたしの食べたい、欲しい、行きたいという欲望は収まることを知らず、お金は使うし、体重も増えた。

さて、そんなこんな、今年に入り、シェアキッチンを借りて、ポップアップカフェや駆除鹿の利活用の鹿肉ジャーキーの量り売りショップは続けてきたが、7月からは酷暑で、カフェの出店をしてもなにかと難しそうだったので、夏の間はすぱっとカフェも休みにして、その流れでインスタも極力見ない生活を試してみることにした。

すると、どうでしょう・・・(劇的ビフォーアフター風で)

Instagramを一定期間やめてみたら、とても穏やかな時間が流れるようになり、本を読む時間がこれまで以上にできたのだ。

そこで第二の波がやってきた。

夏のある日、ふらっと図書館に行き偶然手に取った本が、羽田圭介の『滅私』という小説だった。本当に偶然見つけた本。最初は、夏休み中に家にいるとゲームばかりしている高校生の息子に読書でもさせようと、息子が気に入りそうな小説を探していて、羽田さんの小説ならなんか男の子好きそうかな、となんとなく借りてきた一冊だった。しかし、息子は「夏休みの課題やるのが先だ」なんて言って、本は棚に置いたままだったので、先に私が読んでみるかとページをめくっていったら・・・

なんとも、男の生臭い小説で16歳の息子にはちょっと読ませられないシーンもあったのでお母ちゃん先に読んどいてよかったわ、というのもありながらも、わたしに刺さりまくる一冊だったのだ!身につまされるというか。この『滅私』という小説は、ミニマリストの主人公の男の物語なので、エコな社会実現を目指している自分に通ずるテーマだったのだ(わたしはミニマリストではないが)。

この主人公は、どうにも効率主義者で人間味が薄れていて、魅力的でない人物なんだけど、そういう人たちの考え方って共通しているらしく、モノを極力持たずシンプルに生きるそのライフスタイルとそういう人たちがやる仕事って短絡的な薄っぺらい一面が色濃く出る。主人公自身が自問する場面。

p95  最小限の持ち物で生活することを提唱しているサイトで、「MUJOU」(という彼のOEMブランド)の製品を売っている。大量消費社会の否定というブランドコンセプトを掲げておきながら、革新的でもない品を大量に作っている。買ってくれる人が多いほど、まだ使える既存のリュックや財布は捨てられ、資源の無駄になる。

自分は、誰のためにもなっていないのではないか?  

革新的でもない品を大量に・・・ここは特にグサッときた。あ、わたしがKANKIKUでやろうとしていたのも、これと同じかもしれない、と思ったのだ。

p94 時折、自分が利益を求めつつやっている啓蒙活動が正しいことなのか、わからなくなる反応もあった。

この部分も、純粋に共感した。この文のくだりは、物を捨てまくってシンプルな生き方に賛同した人達が、家族暮らしなのにがらんどうになった家の画像を主人公のサイトにお礼のつもりで見せたくて貼り付けてくる。それをみて、家族暮らしなのにこんななにもない部屋で暮らすってその子どもや夫にとってはどうなのか?刑務所みたいではないか?そこに、昆虫採集に興味を持ってもそれをさせてもらえない男の子が登場するのだが、ごみになるから、と言って知的好奇心すら踏みにじられる不幸な子ども達が自分の影響で増やしていることに主人公は苦悩するのだ。

さらに、今こういう生き方や考え方してる人って多くなっているなぁ。↓

P33 (ミニマリストのコミュニティに属している人たち、ミニマリストを仕事にしている人について)ほぼ30代以上の人達ばかりで構成される皆に共通するのは、物はいらなくても金はいるということであった。

P91 物を捨てまくると弊害が発生する。感化されやすい篠田がいい例だ。色々と物が入り用になる仕事や趣味に興味を抱いても、物を持ちたくないという理由で、選択肢から外してしまう。じゃあなんの専門性も備えていないのにスタイリッシュなノートパソコン一台で何ができるかと問われれば、広告料目的の文章でも書くか、情報商材、ゆるいマルチ商法みたいな商売でもするしかなくなる。

P97 物を捨てる思考の人間が世に発する文章や話し言葉は、同じになりがちだった。皆なにかに<気づき>、<悟り>、<経験が大事>と言い、新しいコミュニティに出入りしたり習い事を始めたりする。それも準備や鍛錬、継続があまり必要でない、人生をかけて打ち込むほどではない程度の新しい経験に手を出してみるのだ。道具や時間をあまり費やしたくない、あらゆることから身軽でいたいという精神は、なにかを真剣に行うことと相性が悪い。

(出会い系アプリで知り合った紺野夫妻という、コンテンツビジネスをしながら自然回帰的なライフスタイルを売りにして、千葉の土地にタイニーハウスに引越し、畑で自家栽培などをしてのんびり暮らし始めたコミュニティ仲間のことについて)

<もうすぐ生まれてくる子供のためにも、畑を耕せる田舎暮らしをみなさんにぜひおすすめしたいです。私は今妊娠中であまり外出できませんが、スマートフォンさえあれば通販でもなんでも届きますし、映画だって配信で見られます。都会と遜色ない便利な生活が送れますよ~。>記事の書き手は愛だ。そのひとつ前の記事は夫の茂によるもので、<無理に会社勤めなんかしないで、のんびりやりたい仕事をやればいい>とあった。夫婦揃って自然回帰のようなことを最先端のシリコンチップ搭載機器で下記、インターネットテクノロジーを利用し世界へ向けて発信している。

これを読みながら、主人公の男は、紺野っていう若い夫婦が田舎にいながら都会と遜色なく便利に暮らせるのも、色んな人達が過酷な労働環境下で働いてくれているからだ、官僚や警察官、自衛官や医者がストレスの多い仕事をまっとうしなければ日本での平和な生活は成り立たない。と評する。

P113 皆がログハウスを建てのんびり野菜を植えたり自然回帰ごっこをしてストレスフリーな生活をしだしたら、今見ている世界は終わる。

この本を読み終えてから、わたしは、ノートに書き写して、眺めては自問自答した。

一歩間違えば、わたしも自然回帰だのミニマリストだの、彼らと同じような思考になってしまうかもしれない。わたしは、こんな風にはなりたいわけではない。

利益を求めつつSDGsの啓蒙をしようと開業届出していることが、実際には何もできていなくて、ストレスになっていて、人々に対して有益になどなっていないような気がする、と。だって、革新的でもないことばかり思いつくけれど、実際には成果が見込めないから何もできていない。

それで吹っ切れた。というか、失敗を認めることにした。廃業届を出して、身軽になろうと。

自然回帰ごっこ、と見なされるような生き方はしたくないし、かと言って、がつがつSDGsに特化したビジネスをしてお金を稼ぎたい、という明確な解決策も今のところ思いつかない。それで踏ん切りをつけるべく、税務署に廃業届を送った。送った後どんな心境になるかな、と思っていたが、最初は清々しして納得した自分がいた。しかしその数日後には、泣きたくなったりもした。わたしがやってきたことって、何だったんだろうって。

まっすぐエコをやろうとするとビジネスとの相性が悪くて、はなかなか難しい。

そういえば、国連のグテレスさんも退任された。彼の場合は任期満了だったからなのでわたしとは境遇が違いすぎるけれど、地球沸騰化も止められず、環境は悪化してゆくばかり。わたしの落ち込む気持ちと同じように、不甲斐なさを感じながらの退任だったのではないかと推測している。

でも、KANKIKUはこれで終わるわけではない、この気づきをもとに発想の転換を図りながら、また新しい道筋を見つけようと思っているし、実際に計画は進んでいる。環境問題について、「ママたち大人は何もしなかったね」と我が子に思わせたくないし、わたしだって、何もしないで、この先の人生ぼーっと生きていくわけにもいかないので、違ったことで社会のお役に立ちたいと思っている。

充電期間ということで。

SNSとの距離を持ちながら穏やかな時間のなかで、また新たなひらめきを行動に移したい。