SDGs環境目標に特化した営業支援・商品開発事業を立ち上げましたKANKIKUこと木村きく子です。

去る、2022年1月22日、市が主催のビジネスプランコンテストのファイナルステージに進むことができ、想定外の大舞台で、事業についてのプレゼンテーションをする機会をいただきました。

西東京市ビジネスプランコンテストファイナルステージプレゼンテーション by KANKIKU木村きく子

グランプリは副賞15万円、準ブランプリは7万円、という市の産業振興課にとってスタートアップを支援することで、市に発展をもたらしてくれる人材に期待をしてくださっている、ということを実感しました。

西東京市ビジネスプランコンテスト (nishitokyo-bizcon.com)

西東京市ビジネスプランコンテスト集合記念写真

わたしは、残念ながら、グランプリも準グランプリどちらも逃しましたが、女性の会社経営者の審査員賞をいただき、また、プレゼンテーションでの総評では、審査員の方々から「素晴らしいプレゼンテーションでした。行動力・共感力が強みということですが、プレゼン力も強みだと思います。」と言っていただき、その言葉こそが私にとっては大きな励みと収穫となりました。

だって、思い返せば、わたしは営業経験はあるので、商談でのトークは得意ですが、数年前に、小学校のPTA会長をやることになって、1年間で人前で話すという場面が何回も出てきて、プレゼンらしきことも経験したものの(その経験が今につながっていることは確か。)壇上でプレゼンスライドを使って自分の事業をプレゼンするという仕事のプレゼンは初心者も初心者だったのですから。7分という時間制限をきちんと守るため、これまでのアドリブトークはなしにして、台本を練り上げ本番に臨み、私のなかでは上出来でした。

思い返せば、2020年新型コロナウイルス感染拡大というパンデミックにより人生観が変わり、2021年年明けとともに、勢いでフリーランス営業ウーマンとして環境問題に主体的に取り組もうと自己流に手を付け始めたところからすべては始まりました。

わたしはフリーランスというキャリアで働くことを望んだので、開業届出さずにある程度の収入なら”雑収入”扱いで仕事をすることだって可能だったのですが、色々な事業展開のアイデアもでてくることも見越して、それなら資金など必要になった時のためにも、よりビジネスライクに取り組めるように個人事業主の開業届を出した方が、潔く働けるのではないかと、開業。公共機関の起業支援サポートをフル活用しながら、一歩一歩勉強の日々。

昨年夏から秋にかけては、女性向け創業スクール、市の起業スクールを受講し、ビジネスに関する本も読み漁りながら、着実に経営の基礎を学んできました。

2つの創業スクールでは、7回講座の最後にビジネスプラン発表会という時間が設けてあったので、そこからプレゼンデビュー。リモート越しで、自分で初めて作ったプレゼン資料を画面共有しながら、4分、5分で話していくのですが、最初は「起業のきっかけ、想い」を最初に語りはじめたらそれだけで4分経ってしまい、肝心の事業プランまでたどり着かず時間終了~という苦い経験も・・・笑。

その後、市の創業スクールでも「発表会あります、今回市役所内の会議室とってあります」と言われ、「はいはーい」と思いながら、当日を迎え。初めて壇上でのプレゼン。単なる発表会だし、周りは同じ受講生なので緊張する必要もないのに、いざ自分の番になると、マスクのせいなのか、時間内に話せるかという焦りなのか、過呼吸になり、しゃべりきるのに精いっぱい・・・でも。

その時の、コメンテーターに、金融機関の融資や起業相談窓口の専門家がいらっしゃって、わたしの収益性には乏しいビジョン、想いばかりのプレゼンに対して「木村さん自身が”商品”だと思います」とおっしゃられたのです。

そんなことを言われるとは思っていなかったので、とても驚きました。

わたしが扱いたい”環境にやさしく地域経済にもうれしい”商材を世の中に広めて、日本の消費や社会全体をエコフレンドリーな光景に変えていきたい、そのためには商材を探してきてビジネスに繋げないと、とばかり思っていたのです。

この私自身が商品になる、という言葉をきっかけに、今回のビジネスプランコンテストファイナルステージでは、「KANKIKUこと木村きく子は、エコフレンドリーな社会実現ができそうな人物だ。木村さんと環境問題について一緒に取り組んでみたい、仕事をお願いしたい。」と思ってもらえたらいいな、という想いを伝えました。

そして、グランプリなどを逃して改めて気づいたのは、「あ、確かにわたしのKANKIKUって収益性があまりない」ということ・・・苦笑。下手するとワーキングプアになりそうな仕事です・・・苦笑。

そもそも、収益が見込めるからこれを仕事にしたいと思ったわけでもないし、前の仕事より収入を上げたいから、起業したわけではなかったので、環境問題を仕事にするって、なかなかマネタイズできないよ~なんていう風のうわさがちらほら聞こえてくるのは、その通りなわけです。(もちろん、環境ビジネスだけど儲かる事業は世界中を見ると、まったく新しい環境配慮製品を作る企業にはあると思います。)

収益性があるから立ち上げ、事業ビジョン、プランを立てて、2,3年後にはどんどん売上や店舗拡大をしていく資本主義的な事業計画とは違うし、環境問題について何か政府の有識者会議に呼ばれて、提言をしたり、講演会を開いて、本を出版して印税でお金をいただく仕事をしている方はけっこういらっしゃいますが、わたしが目指してるのはそういうことでもない。(「環境問題って、昔から言われているけれど、良くなってこなかった。なんか言っている頭のいい人はいっぱいいるけれどね。」ということをおっしゃった近所のマダムの言葉が印象に残っていて。)

今回、ビジネスプランコンテストに応募するにあたって、2,3年後の売上計画表や事業計画書を書いてみて、そういう収益の見込めなさ、を痛感したことも気づきでした。

ワクワクする仕事をしつつ、日本の環境やら社会課題は待ったなし!なので2030年までこの仕事を続けていることがないくらいにできることにはどんどん行動して取り組みたい。そのためには、もしかしたら営業支援というのが柱ではない、違った柱でやっていくことも必要なのかもしれない。そんなことも考え始めた今日この頃。

2022年始動してもうすぐ1か月。まだ1か月。次への模索が始まります。