「わたし、SDGsという言葉にちょっと拒否反応があるんですよね」とイベント出展に向けての打合せで、主催側のコーディネーターさんからそんなことを言われました。

SDGsっていう言葉は、2015年に国連サミットで登場した言葉なのですが、わたしも昨年までSDGsという言葉に対するイメージは正直、身近なものでもなかったです。あまり印象的な響きでもなく、自分の口から発するような言葉でもない、なんというか大学やメディアで頭のいいインテリな方が環境や人権問題への意識を人々に啓蒙するための”概念”というイメージでしたね。

拒否反応がある、と言った方の理由も同じようなことで、今でこそSDGsって広く使われるポピュラーな言葉になってきたけれど、2,3年前はメディアで、欧米先進国から入ってきた進んだ思想をいち早く取り入れましたという感じで、学識者、知識者が頭のいいこと言っていますよ~みたいなことを見てきてたから、お決まりの「言葉遊び」みたいでなんか鼻につく、と。同感。

私の場合、事業ビジョンには「エコフレンドリーな社会を実現したい」という”エコフレンドリー”というちょっとダサいくらいにわかりやすいキャッチフレーズを起用したのですが、このブログにも「SDGsを身近に感じられる」とタイトルに入れているし、肩書にも「SDGs環境目標に特化した営業・商品開発事業」としてSDGsって使っているんですよね・・・

そんなわけで、SDGsという言葉を自己紹介の時に自分の口から発する(笑)ことが増えたのですが、話す相手によって、”SDGs”という言葉を聞いた時の反応が、それぞれなのですよ。「言葉遊び」ですか、という冷ややかな反応、ぽかーんという顔をされる方に勝手に気まずくなる一方で、若い世代の方だと「すごく興味あります!ぜひこんど色々お話きかせてください」という反応があったり。

そういうのが、聞いた相手にどう理解されているのか、というヒントになることもありますし、SDGsとか言っちゃっている自分に違和感を感じたりすることもありながら使っていますが、SDGsにした理由は、「プラスチックゴミ削減をビジネスの観点から取り組んでいます」「日本の食料自給率向上を目指して、地産地消の取り組みを推進しています」ということをだらだら説明するより手っ取り早くまとめて伝えられるから。

安易なのはわかっております・・・

しかし、プラゴミ削減も食料自給率もたどっていくと温暖化対策やら食料危機問題につながったりと環境問題ってつながっているんですよ。

そういうわけで、”SDGs”っていう言葉を作ったわけなのですね、国連は。とここにきて納得してみるのですが・・・

それからもう一つSDGsの悪口を書かせてください(笑)

先日、夫と一緒に、NHKのクローズアップ現代、その後「歴史探偵」という番組を立て続けに観たら、夫の表情が曇って不機嫌になってしまいました。

内容がですね、クローズアップ現代のほうは、林業と地域経済をどう発展させてゆくか、日本の林業の在り方について取り上げながら、「これは”SDGs目標15の陸の豊かさも守ろう”に当てはまります」とナレーションが入りロゴが映し出されるというもの。歴史探偵では、江戸時代からSDGsのヒントがいっぱい、ということで、ゴミがほとんど出なかった江戸時代の社会のしくみは「SDGsの何番にあてはまります(忘れてしまいました・・)。江戸時代にはSDGsの精神が多く存在していたのです!」と、またしても・・・

夫は「ただの”SDGs、SDGs”の後付けじゃないか、くだらない!」と。

確かに、なんか”我々メディアは、視聴者にSDGs教育してますよ”という匂いがぷんぷん。小賢しい感じは否めません・・・

プラゴミ削減と食料自給率向上をビジネスの視点から本気で取り組みたいと思っている私には、こういう率直なご意見はすごく考えさせられます。

そして、このかっこつけた環境用語で環境意識を浸透させていこうとしている上から目線な一部の層に対する不満も。これじゃ環境問題は広く受け入れられないよ、庶民の感覚にもっと寄り添ってよ~!と思いながらも、SDGsという言葉を使っていることに対して、自省もする日々です。

KANKIKUは西東京エリアを拠点として、脱プラパッケージ、地産地消の営業支援、営業サポートを行っていますので気軽にご相談ください。環境オタクとしての知識に加え、主婦目線とビジネス目線を備えて、環境改善を実践すべく日々奮闘中です。